次の4年間への思い【京都党南区】京都市会議員 中島たくやのブログ

次の4年間への思い

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唐橋_小学生

 

● 両親ともに京都生まれの京都育ち。

父は唐橋小学校、八条中学、洛陽工業高校を卒業し、ホームセンターのニックで働いていました。西京区樫原生まれ育ちの母と結婚。そして滋賀県の彦根市に転勤し、昭和58年12月13日、私が生まれました。そのまま小中高は滋賀県の公立高校に通学。大学で同志社に入学し、京都に戻って来ました。当時は大学すぐそばの家賃2万円の風呂なしの町屋に住んでいました。

 

● おばあちゃんの家を唐橋と呼んでいます。

中島家ではおばあちゃんの家に行くことを「唐橋に行く」と呼んでいます。松尾大社のお祭り、盆、正月は中島家3兄弟の家族が唐橋に帰ります。ゆくゆくはおばあちゃんの家に住もうと考えていたものの、就職先は東京。金融のシステムを構築するベンチャー企業(東証1部)で文字通り、寝食を忘れて仕事に打ち込んでいました。

 

● 立候補をするきっかけ

金融は法律でがんじがらめ。新しい取引をはじめるとすぐに規制するルールが作られます。大手証券会社と一緒に計画していた、日本ではじめてのプロジェクトもそのおかげでとん挫。日夜の議論がすべて水の泡。そんな中でどんどん政治や行政に対する怒りが大きくなりました。そこで出会ったのが京都党。京都こそ新しい政治を作れるはず。そう思って会社を飛び出しました。

 

● おばあちゃんが作る朝ごはん

2010年10月、京都に戻って来ました。そしておばあちゃんとの二人暮らしがはじまりました。88歳のおばあちゃん。山盛りの朝ごはんを食べて、朝から晩まで自転車で南区中を駆け回りました。政治に対する不満、行政に対する怒り、若者に対する期待、いろんな声を聞きました。

 

● じばん、かんばん、かばんなし。

2011年4月10日、4,073票を頂き、初当選。議会ではずっと行財政改革を訴え続けました。どんどん増える京都市の借金。すべては将来への負担先送り。未来に責任の持てる政治をつくるべき。右からも左からも野次の嵐。それでも新しい政治が必要なのだと訴え続けております。

 

● 南区まちづくりプラン

やりたいことはたくさんあります。京都駅八条口の活性化。芸大と連携した東九条のまちづくり。ほんまもんの京野菜のブランディング。任天堂を活かしたIT企業の誘致。JR西大路駅のバリアフリー化などなど。南区をもっともっと魅力のあるまちにしたいのです。

 

● 上から目線ではなく、同じ目線の政治

組織や団体の支援はひとつもありません。選挙の後、その御用聞きの政治ばかりが続くからです。市民のためのほんまもんの議会を作りたいのです。上から目線ではなく、皆様と同じ目線の政治を続けます。お一人お一人のご支援だけが頼りです。今後ともどうかお力を与えてください。